【備忘録】2,995人とタケノコに思うこと

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四万十市にある旧西土佐村エリアの人口が、

2015年12月で2,995人になっていました。

あらあら、3,000人をきっていました。

2014年の1月に西土佐の恋チュンを作ったときは、

3,146人でした。

 

 

 

 

あらあら、151人、どこいっちゃったのかしら。

産まれるよりも、亡くなるが多いのと、

卒業後に転出する人が毎年一定数いるのとか。

まあ、そんな田舎あるあるな理由。

恋チュンでてくれたあの人もあの子も、

西土佐村にはもういない・・・っていう事実。

 

 

人口が増えるのと減るのって、

どっちがよいのでしょうね?

人口が多い時期の西土佐村を知らないので、

どちらがよいのやらわかりません。

賑やかだった時代を懐かしむ人もいるけれど、

ノスタルジー/ノスタルジア、ではないだろうか。

過去を懐かしむ自分に酔っている、ともゆえばよいのか。

懐かしむという行為は、振り返った過去の時代の、

いまいちな部分やダメだった部分を

ついつい、無視したり、計算せずに考えてしまいませんかね。

 

 

例えば、人手不足で祭りの御神輿をかつげなくなった、と

ノスタルジーをゆう人もいるけれど、

運べる重さの御神輿に変えるだったり、

台車をつけたらいいんじゃないかな。

他所からきた人だからそうゆうんだ、っていうわけじゃなく、

御神輿をかつぐことがそんなに大切なら、

かつげる術に知恵をしぼった方が前向きじゃないですかね。

 

 

懐かしむのもいいけれど、

他人を巻き込んで懐かしんだ後に

今という時間軸への行動が伴っていない人、おるよねー。

だからといってはなんですが、

半家天満宮のお祭りが好きなのは、

祭りを続けるための柔軟性です。

子どもが足りないなら、

大人が鹿踊りすればいいんだっていう。

男の子だけだったけど、男の子の数が減ったら、

女の子も踊ればいいじゃないかっていう。

 

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※半家天満宮 秋祭り

 

 

人それぞれ、何に重きを置くか、ですけども。

そして、柔軟に考えるって、

難しくもあるし、

柔軟な発想を実現するのも、

また難しくもありますね。

 

 

2,995人という人口が減っている事実に、悲しいであったり、

なんとかしなければという心情が揺れ動くことはないのですが、

いつか西土佐村は滅ぶのかな〜と思ったりしました。

人口が減ると税収が減るわけで、

税収が減っている地域には、

当然サービス(公共交通とか医療)は減るわけで、

もし車の運転ができなくなって、

公共交通も今より減ったとしたら、

身寄りのないシングルな私はのたれ死ぬのではないのか?

いや、万が一、子どもが産まれたとしても、

子どもが西土佐村に住み続けてくれる確約はないのだぞ?

老人ホームを手配するだけの蓄えが必要なのか?

その頃にこの地域に老人ホームなんてあるのか?

ないなら作るのか?作れるかーい。

滅ぶであろう地域になぜあえて住んでいるのだ?

 

 

はい、考えすぎ。

わたしの特技、ぼのぼの化です。

ぐぐってね。

 

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引用:http://matome.naver.jp/odai/2128834519340584401

 

 

死ぬ死ぬ言っている人が、

1番死なないっていうのと一緒な感じで、

そこまですっとは滅びないだろうなと思っています。

とはいえ、田舎で生きる力はあったほうがよいので、

山の手入れに勤しんでいます。

 

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山にはえ過ぎている竹(侵入竹)をごんごん切ってます。

去年から冬の時期に切ってるのですが、

暖冬の影響か、はやからタケノコが生えてたそうです。

 

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自然の強さへおののきますね。

作業現場の通り道にはえていたそうです。

このタケノコがもこっとしている

地面の変化に気付けないわたしは、

生きる力がまだまだたりないんだなー。

このまま滅んでたまるもんかー。

 

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